ギンジ、と言えば此処で知らない人はいない。
此処では誰もが彼と一夜を過ごすことを夢見るのだ。
ギンジさんはその名の通り(そこから名前を取ったのかもしれない)銀色の髪をしている。
初めて見たときは驚いたが、その異色こそがギンジさんをギンジさんとして成り立たせているもので、
だから、人々はより一層焦がれるのかもしれない。
ギンジさんとおれが出会ったのは、おれが此処に住み替えになったときだった。
「おまえも、“ぎんじ”なんだって?」
そう言ってギンジさんは話しかけてきた。
おれの名前は、ギンジさんと同じ。
だから此処に住み替えになったのかもしれない。
同じ名前、とか、そういうことを面白がる人は多い。
おれとしては複雑だった。
おれには大きすぎる名前だった。
だからこの名が好きじゃなかった。
むしろ嫌いだった。
「よろしくな、ぎんじ」
そう言ってギンジさんは綺麗に笑った。
後から知ったのだが、ギンジさんが自分から話しかけることは此処では相当レアなことだったらしい。
この世界に生きる者として、当然その存在を知っていたおれは、知り合いの誰もいないこの世界で、
手の届かない存在だと思っていた人の意外な気さくさに救われたのを覚えている。
此処にきて学んだことは、ギンジさんは恐ろしく賭けごとが強いということだ。
それはもはや神がかりと言ってもいいくらい。
ギンジさんと賭けごとをするときは、注意が必要だ。
むしろしない方がいい。御法度にしてもいいくらい。
ギンジさんと賭けごとをするときは、何かを賭けるのだが、それは勝負の後に勝った方が負けた方に指定する。
この世界には当然ギンジさんを妬むやつもいる。
そういうやつがギンジさんを陥れるために賭けごとを仕掛けることは、よくあることだった。
そういうやつはもっぱら新入りだったり、住み替えできたばっかりで此処のことをよく知らないやつらだったり、と 古株や此処での生活が長い人は、絶対にしない。
みんな結果を知っているから。
「そうだなあ、」
いつものようにギンジさんは最初から決まっていたかのように賭けごとに勝って、いつものように“賭けるもの”を考える。
いつものように白い細い長い指を唇にあてて。
いつも、その姿は(たとえどんなことを考えているにせよ)絵画のようだった。
「おまえ、指一本落とせ。ああ、足の方でいいぜ。見えにくいし。
おまえも“商品”だからな。目立つところが欠けたら、さすがに影響あるだろうし」
これが、ギンジさんとの賭けごとが御法度とされる理由。
(おれはこのときにおれの「夜食抜き」はまだ運がいい方だったということを知った。)
ギンジさんの影響力は、此処では絶大なのだ。
だから、当然誰も何も言えない。
ギンジさんとの賭けごとのせいで発狂したやつも少なくないらしい。
「あの人のこと、嫌いなんですか?」
そうおれが聞くと、ギンジさんは楽しそうに笑った。
ギンジさんはきっと、生に飽いている。
食べることも、寝ることも、呼吸をすることも、歩くことも、話すことも、笑うことも、何一つギンジさんを満たすものではない。
生まれてから死ぬまで、食べて、寝て、呼吸をして、笑って、泣いて、それを繰り返すだけの日々。
これを生き地獄と言わずに何というだろうか。
「まさか。俺は誰も嫌いじゃないさ」
ギンジさんは狐のような目で笑った。
(それは例えようもなく妖艶で美しくて、おれは思わず呼吸を忘れた。)
「みんな、屑みたいな世界のさらに底辺に生まれちまった、愛すべきおれの同類さ」
あなたのその色は、死装束のようだ。と誰かがギンジさんのことを言っていた。
きっと、そうなのかもしれない。
生きることに飽いているから、いつ死んでもいいから、ギンジさんはこの色なのかもしれない。
そんなことを考えながらおれはギンジさんの煙管からのぼる紫煙が天に吸い込まれていくのを見ていた。
(そうして世界は急速に熱と色を失って冷えていくのだ。)